コミュニケーションは出し手側に100%の責任があるとは?

おはようございます。

今日は雨ですね。

さて、日本人は世界の中でも言葉によるコミュニケーションが少ない、非言語コミュニケーションが多い民族だそうです。いわゆる察するとか、忖度とかはここから産まれた言葉でしょう。

ただ、ここで欠けている視点とは、コミュニケーションの出し手ではなく、受け手にコミュニケーションを任せている点です。

例えば、「そういうつもりで言ったのでない」と言う時に、コミュニケーションをきちんと受け取らない責任を相手に押し付けています。

また「わかってくれるだろう」というのもそうです。

「こんなに頑張っているなら。(相手も同じようにやってくれるだろう)」というのもそうです。

これらは、同質の文化の中で築き上げられた非言語コミュニケーションに慣れた関係から共通理解としてあるものです。

しかし、ひとたび、考えが異なる人や外国の人とコミュニケーションをするとなると途端に行き詰ります。なぜなら、外国人や文化が異なる人に対しては、言わないとわからない。そして、コミュニケーションは相手に理解させるまで言い続けることが前提だからです。

さらに言うと、相手に理解させるまでは、コミュニケーションの出し手に100%責任があるからです。また、相手が黙って聞いていて、質問や反論をしなければ、相手は理解や同意しているとみなされるのです。

実際、20年ほど前にコンピュータのフェアでアメリカのニューオリンズに行きホテルに泊まった時のことです。ホテルを出る際に請求書にサインを求められましたが、それには駐車場代が加算されていました。車で行ってもないのにです。すかさず抗議して、取り消しましたが、ちゃんと請求書を見ないとわかりませんでした。

サインというのは同意を表すことがこの出来事でよくわかりました。

ですから、日本人同士でも、コミュニケーションの出し手にコミュニケーションの責任が100%あると思えば、無用な誤解も減るでしょう。そして、相手に理解されるまで、言うことが習慣付けば、相手に対してあとで、非難することもなくなるでしょう。

今日も元気で頑張りましょう!

無料性格分析テスト
http://andante-inc.ciao.jp/08.html

愛知ミッションお問い合わせ
http://andante-inc.ciao.jp/aich_mission1/

ダイアネティックス

http://scshop.cart.fc2.com/ca0/2/p-r-s/

コミュニケーションについての説明ビデオ

https://www.youtube.com/watch?v=7l6zeygIljs

今までの内容

http://ameblo.jp/andante-inc/

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA