ダイアネティックスという本によると、人は、意識下の心によってコントロールされてしまうと述べられています。
その心とは「反応心」といわれるものです。その心には「記憶」はありません。「考える」ことは行いません。「記録」を行い、行動するためにその「記録」を利用するだけなのです。
そしてそれは意識している心に影響を与えます。それはその人の意識や同意もなく記録を選び出して、心と体に影響を与えます。
たとえば、犬が怖いという人がいます。
そして犬は噛むからといいます。しかし、噛む犬は特別な犬ですよね。きちんと躾の出来た犬なら、知らない人でも滅多に噛みません。
しかし、その人の過去をたどっていくと、小さいときに犬に噛まれてた経験や犬に関して嫌な経験をしたことが見つけられます。
もちろん、その噛んだ犬と、現在、目の前にいる犬とはまったく違います。しかし、その人はまた噛むかもしれないと怖がるのです。
このように「反応心」は、肉体的な苦痛と苦痛の感情のみに基づいて機能するのです。刺激-反応に基づいて活動します。犬=怖いとなるのです。
そこに昔の自分を噛んだ犬と現在の目の前にいる犬とは識別することができずに、小さな犬=噛んだ犬=怖いとなるのです。
その記録は、似たような状況が出てくると再活性化して、その犬を怖い。犬から遠ざけるように、その人をコントロールするのです。
その不合理な心である反応心がつくられるのは「苦痛」と「無意識」があわさったときです。
通常、無意識のときは記憶がないと思われますが、実は、その時の出来事が記録はされてしまうのです。
まるで、ビデオテープの録音ボタンがオンになったと同じような状況で、その瞬間に分析的な思考がまったく働かず、もちろん、意識がないのでそこにある痛み、感情、五感、人の声など、ビデオを録音したかのようにすべてのものを「記憶」ではなく「記録」してしまうのです。
無意識は、お酒を飲んだとき、麻酔をかけられていたとき、ケガや病気によって意識が遠のいたときにも生じてきます。
その無意識の瞬間にそこで起きたことはその人は気づいていないかもしれませんが、完全にそこであったことをすべて記録(録音)してしまうのです。
そして、ここで記録されたことは意識している心によって評価や整理もされず、無造作に記録されてしまいます。
そして、将来、似たような状況が起きたときに、再活性化(再生)され、その人をコントロールしてしまうのです。
犬に噛まれた過去があると、犬を見ただけで、昔噛まれて痛かった腕のズキズキした感覚、恐怖などが今、目の前によみがえってくるかもしれません。そして犬を避けようとする動きになります。
よく、女性でどうも男性は苦手の人っていますよね。
自分でも何かわからないけど。。。
不思議ですよね。
それにはわけがあるのです。
この反応心を取り除くオーディティング(一種のカウンセリング)をやると、必ず、ごく人生の初期の時期、幼稚園時代や小学校低学年とかで、男性との間で不快な経験をしているのがわかります。それはわいもないお医者さんごっこだったかもしれません。
でも間違いなく、その人はその時不快であったのです。
意識している普段の心では、そんなことは忘れてしまって、出てくることはありません。
本人はすっかり忘れてしまっています。
しかし、オーディティングをしていると必ず出てくるのです。
そして、無意識の領域に埋め込まれているものは、オーディティングによって無意識の状態に入らないことには、そこでのことは解除できないのです。
これが、自分を変えるセミナーが本当に機能しない理由です。頭でもわかっていても行動できないのは、頭でわかる意識上のことではなく、頭でわかるより下の意識下のことが影響しているからなのです。
そうした不快な過去があると、ある女性は、誠実な男性が現れても、なんだか信用できないように思えたり、またそうなると結婚して、男の子が生まれると男というだけで、その子に愛情を注ぐことができなくなってしまったりするかもしれません。
女の子が産まれたら、必要以上に、男性に警戒するように箱入り娘にして育てようとして、かえって、男性の免疫がないまま育てて、悪い男に騙されて、苦労してしまったり。。。
結果、離婚して一人で子育てすることになったり、まあいろんなことが起きてきます。
あるいは過去のあまり愉快でなかった恋愛関係が、例えば、とても傷づいた失恋や、裏切られた恋などが、忘れたつもりです。しかし、それが現在の夫婦関係に影響を与えていたりします。
こういう過去の経験が無意識に自分の人生にネガティブな影響を与えていることって嫌ですよね。
しかし、こういうケースは本当に多いです。
表面的にうまくいっている夫婦関係でも、本音のところではかなりのトラブルが生じていることが多いことが、みうけられます。
人生を楽しく、幸福に生きたいと思っても、こうした反応心という心によってコントロールされているのです。
本当に大変なことです。
そうしたコントロールを受けるたびに、精神はどんどん輝きを失っていきます。
そして年をとるごとにそうした不快な経験はざぶとんを重ねるように積み上がってきます。
そうした精神的な苦痛が積み重なるたびに精神的にも、元気がなく覇気もなくなってきます。
それが人生といえば、人生ですけど、寂しいものです。
そして自分の状態をなんとかしたいと思ったときは、もうそうする気力も失っていることでしょう。
人生とはうまくいかないものです。
何かの行動を起こすのであれば、今でしょう。
