教育の分野でよく言われることは、学ぶことができないお子さんがいるということです。
学校教育で6年間は、英語を勉強しますが、日本人の中には、英語を話せない人が多いことでそれは明白です。
私も学校とは別の英会話教室へ行かないと英語が話せるようにならなかったので、わかります。
たとえば、工場のラインで、製品をつくる場合、欠陥品だと市場に出すことはできません。しかし、学校教育では、英語を使うことが出来る生徒という最終生産物をつくらず、単に、教えるだけ、工場であれば、製造ラインに製品を流すだけで、最終生産物に責任を持たないというおそるべき状態が続いています。
ですから、これは英語だけでなくすべての教科でそうなので、学校を出ても実社会で使えない学生が企業に就職することになるのです。
これは、現代の学校教育における最大の欠陥といえましょう。しかし、ここでは、その批判ではなく、どうすれば、そうしたことが回避できるかの視点で書いています。
では、まず胸に手を上げて考えてみてください。
まず、「学ぶ」と「勉強する」の違いがわかりますでしょうか?
似たような意味ですが、これには明確な違いがあります。
お子さんに「勉強しなさい」「よく学びなさい」と怒ったりすると思いますが、そもそも、その意味をきちんと理解していますか?
もし、あなたが、その意味をきちんと理解していないなら、お子さんに「勉強しなさい」と言っても、そもそも自分が意味のわからないことを伝えようとしているので無理が生じませんか?
では答えをお伝えしましょう。
<学ぶ>
定義:教えてもらったり、見習ったりして、知識や技術を身につける。
<見につける>
知識や技術などを自分のものとして、自由に使えることが出来るようにする。
<勉強する>
学問や知識、技能などを見につけるために励むこと。
ものごとに目を向けたり、誰かそれについて尋ねたり、それについての本を読むこと。
<励む>
やる気を出して一生懸命取り組む。
では、「ニンジンを学ぶ」としたら、どうなるでしょうか?ニンジンを自由に使えることが出来るようにするわけですからね。
例えば、
お子さんと一緒になって
・ピーラーで皮をむく。
・生で硬いまま齧る。
・茹でてみる。
・ニンジン料理を作る。
などでしょう。
でも、実際にはこうやっていませんか?
台所でニンジンを切っているとき、お子さんがやってきて、「この赤いの何なの?」と聞いたとき、
・急いでるだから、あっち行っててね。
・危ないから邪魔しないでね。
・あとでね。
・テレビ見ててね。
などです。
そうすると勉強しようとする気持ちがなくなります。なぜなら、せっかくニンジンを勉強しようとして、質問したお子さんの行動が否定されてしまうからです。
これが毎回続くとどうなるでしょうか? お母さんに質問することはいけないことだと思うかようになるかもしれません。
そうすると、肝心の「勉強する」ー学問や知識、技能などを見につけるために励むこと。ものごとに目を向けたり、誰かそれについて尋ねたり、それについての本を読むこと。
がいけないことだと思うようになるのです。
結果として、勉強は、よくないことだ。そして、学べない子どもが出来るのです。
これが、ごく一般家庭で、小学校に入る前に起きることです。
学校に入ったら、勉強はいけないことと刷り込まれていますから、当然、あまり勉強しないお子さんになっちゃいますよね。
怖いことです。
では、学べるお子さんにするにはどうすれば良いのでしょうか?
それはまた次回に。。
<続く>